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毛利新田(後の神野新田)
毛利新田は明治21年に工事開始し明治23年に堤防が完成しましたが、翌24年の濃尾大地震で堤防に亀裂が入り応急処置で対応しのした。 しかし翌25年の暴風雨で堤防が崩壊して新田開拓を断念しました。 明治26年に初代神野金之助翁が全ての権利を買い取り、毛利新田と同じ形で再開拓を始めたが、堤防の規模拡大と人造石の使用で堅固な堤防としました。
毛利新田(神野新田)と吉前新田が無い時代の文政4年(1821年)頃の鳥観図で、茶色の3つのエリアは左から東・中・西の富士見新田で、現在の東明治、西明治、富久縞の各新田です。 左手前が市場の港、右は豊川、中央奥は渥美半島と知多半島の先端が見えます。
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