1.毛利新田の開発の初め
2.牟呂用水の起源
3.牟呂用水の竣工と反対者
4.愛知県庁の工事監督
5.築堤工事の困難
6.築堤工事の完工
7.築堤後の毛利新田
8.大震災と毛利新田
9.毛利新田最後の大破損
10.毛利新田売却の議決
毛利新田は1892年(明治25年)09月04日の大暴風雨で堤防が決壊したことが、毛利が新田開墾を
断念した原因で、その日の天気図(国立国会図書館の100年天気図データベースより)が見られる。
金之助翁の書籍(神野新田紀事)には下記のように書かれている
・・・またしても天災が、同年9月4日に暴風に加え豪雨となり潮水を押上げて大堤防の内にある前年
震災で崩壊した所を初め、柳生川筋からも潮水が浸入して、逆巻く波が新田内に氾濫し、130余の人家が
押流され、住民は・・・
・当日、9/4の天気図(夕方頃より、毛利新田付近も相当の暴風雨であったはず)
・天気図は上から、6時、14時、22時です
午前6時のコメントには低気圧に関する記述は無い
・鹿児島の南南西に低気圧と書かれている
・当時の気象体制や測定器では、危険な低気圧とは判断困難だったでしょうね
午後2時のコメントに下記が書かれている
・1個の低気圧(すぐ外側の等圧線で745 Hg)が尾張湾に近づいている・・・
・745水銀柱は、1013 hPa ÷ 760 Hg X 745 Hg = 993 hPa
・以上から低気圧の本体は 990 hPa 以下だった可能性が高い
午後10時のコメントに下記が書かれている
・尾張湾沖の低気圧が長野の北に在って西の疾風が吹き大雨降りて・・・
・沼津付近は非常なる降雨にして、その量 67 ミリ
午後2時と10時のコメントから、勢力の強い低気圧か台風と思われる