・右下にある画像が毛利新田を初代神野金之助に譲渡した時の「売渡証券」で、毛利新田(吉田新田)の
字割りは「イノ一番」から「ヌノ一番」までの10、それに松島、8・9・10等の数に分かれていたよう
・大崎に属するのが「イノ一番」、磯辺に属するのが「ロノ一番」、牟呂に属するのが「ハノ一番」から
「ヌノ一番」となっているが各区域の情報は見つけてない。1つの区域が大きすぎるが、田畑などが整備
を進めていく中で、各区域内を細かい番地にしていくつもりだったのか?
・8・9・10等の数の番地は、当然1番から有ったと思われるが、毛利新田の全てを初代金之助が譲渡を受け
たはずだが、1番から7番は譲渡対象外として、どこだったのか
・また林とあるが、明治新田や牟呂や磯辺や大崎の堤防外に浜辺があったが、その浜辺が雑木林ななってい
たのか?、干拓で新田の一部になったが雑木林で残った所か?
毛利新田のアザ割
毛利新田の売渡證券
▶ 毛利新田譲渡契約書
▶ 毛利新田譲渡契約書の添付地図の所属村
▶ 毛利新田の字割を推測してみた
・毛利新田(吉田新田)はイ~ヌの10に大きく分けていた
・神野新田のア~京の割は毛利新田の字順を踏襲したと考えられるので、逆に神野新田の字割順を参考に
毛利新田のイ~ヌを推測してみた