岩本賞壽が自分の考えを誘導して完成させたと考えると全てつじつまが合う
1.富士見新田(現在の富久縞新田・西明治新田・東明治新田)の開拓
・牟呂沖と用水路を測量した福島献吉(毛利新田の東隣の新田)
2.牟呂沖(富士見新田を取り巻く西側)と用水路の測量
・江戸幕府の大津島附近の大新田開拓に対抗した吉田藩の新田開拓計画(福島献吉)
3.毛利新田、牟呂用水の設計と工事
・福島献吉の新田の計画書(旧の920町歩は現在の1,100町歩)を、岩本賞壽らが丸々流用したようだ
・賀茂用水工事の行き詰まりを牟呂用水として毛利に引き受けさせた
・毛利新田の堤防は旧来の工法か?、石・砂・杭棒を使用し規模も不足、設計があまい